薩摩英国館のはじまり ― 資料館から、紅茶と人のぬくもりが香る場所へ ―
南九州市知覧の武家屋敷群の前に、薩摩英国館が生まれたのは、1992年の春のことでした。
“薩摩英国館”——と聞けば、紅茶の香りを思い浮かべる方も多いと思いますが、最初は紅茶の店ではなく、薩摩と英国の歴史を伝える資料館としてのスタートでした。
なぜ薩摩と英国? それには、私たち家族のちょっとした「偶然の旅」から始まる物語があります。
当時、父は地元で長年医師として働き、ほとんど休みなく診療を続けていました。
そんな父と一度くらい家族旅行に行きたいと思い、母と私は「妹が留学することになる英国へ行ってみよう」と家族旅行を計画しました。
祖母も一緒に、家族そろって初めての海外旅行。
ところが、ロンドンに到着して間もなく、祖母が転倒し、骨折して入院してしまったのです。
予定していた観光どころか、私たちは病院に通う毎日。
けれど、その「ハプニング」が、私たちを英国と深く結びつけるきっかけになりました。
入院先で出会った医師や看護師さん、そして近所の方々——皆が本当に親切で、困っている私たちを気遣い、助けてくださいました。
言葉の壁があっても、心の通じ合いはちゃんとあるのだと、身をもって感じた日々。
その優しさに触れるうちに、私たち家族はすっかり英国という国に魅せられてしまったのです。
帰国してから、母はこう言いました。
「鹿児島と英国って、実は昔からご縁があるのよ。幕末に薩摩藩の若者たちが最初に英国へ渡ったことを、もっと地元の人に知ってもらえたらいいのにね。」 その言葉をきっかけに、**「薩摩と英国をつなぐ場所をつくろう」**という思いが芽生えました。
ついに「薩摩英国館」を立ち上げることを決意したのです。
建物を建てる場所に選んだのは、知覧武家屋敷群の通り沿い。 ところが、計画を進めるうちに思わぬ壁が立ちはだかりました。
当初は2階建ての英国風建築を予定していましたが、知覧には景観条例があり「武家屋敷群の景観を守るため、平屋で瓦屋根にしなければならない」と行政の指導を受けました。
その条件を受け入れ計画を見直し、1年かけて完成した建物を目の前にしたとき、心の底から納得したのを覚えています。
ロンドンバスと和風の屋根。その融合は不思議にも、私たちの思い描く「薩摩と英国の融合」そのものだったのです。
開館当初は、館内に『Illustrated London News(絵入りロンドン・ニュース)』などの100~150年前の英国史料を展示し、
英国から見た薩摩の歴史を紹介しました。 生麦事件、薩英戦争、そして薩摩藩英国留学生たちの物語——。
訪れた方々の多くから、「なぜ武家屋敷の前に英国館が?」と不思議そうに尋ねられました。
そのたびに私はこうお話ししていました。
「薩摩の人々の暮らしをこの武家屋敷で感じながら、彼らがどんな思いで海の向こうの英国を見ていたのか、想像してもらいたいんです。」
そうして少しずつ、薩摩と英国の歴史に興味を持つ方々が増えていきました。 けれど、母にはもうひとつの願いがありました。
「歴史だけじゃなく、今の英国の暮らしも感じてもらいたい」——そう考えた母は、英国の雑貨や食品、そして紅茶を取り扱うショップを併設することにしました。
30年ほど前、英国紅茶を扱う店は鹿児島にはほとんどなく、私たちは思い切って100種類もの紅茶を取りそろえました。
紅茶缶の並ぶ棚は素敵なデザインに溢れ、英国の風を感じさせてくれました。
やがて紅茶ファンの方々が訪れるようになり、「飲んでみたい」「香りを試してみたい」との声が高まりました。
そこで、館内の一角に小さなテーブルを置き、試飲を始めました。 これが、薩摩英国館のティールームの原点です。
初めてお客様に紅茶をお出しした日のことは、今でも忘れられません。 紅茶を淹れる音、カップに注がれる湯気、漂う香り。
「わあ、まるでイギリスみたいね」と笑顔を見せてくださったお客様の表情に、私たちも幸せな気持ちになりました。
やがてスコーンやアフタヌーンティーを楽しめるように少しずつメニューを増やし、紅茶を囲む時間が館の新しい文化として根づいていきました。
館の名前「薩摩英国館」は、母が名付けたものです。「薩摩と英国の架け橋になりたい」という願いと、もう一つ——
「この知覧というカントリーサイドを誇りに思い、楽しんで暮らせる場所であってほしい」という思いが込められています。
武家屋敷の生垣が夕陽に染まり、館の窓から紅茶の香りが漂うとき、 私はいつも思います。
——ここに薩摩英国館を建ててよかった、と。 英国との出会い、家族の絆、そして地域の人々の温かさ。
そのすべてが、この小さな館を支えてきた原動力です。
今もなお、薩摩英国館は「歴史を語る場所」であると同時に、
紅茶を通じて人と人がつながる“やすらぎの場所”であり続けたいと思っています。
“薩摩英国館”——と聞けば、紅茶の香りを思い浮かべる方も多いと思いますが、最初は紅茶の店ではなく、薩摩と英国の歴史を伝える資料館としてのスタートでした。
家族の旅が紡いだ、薩摩と英国の出会い
なぜ薩摩と英国? それには、私たち家族のちょっとした「偶然の旅」から始まる物語があります。
当時、父は地元で長年医師として働き、ほとんど休みなく診療を続けていました。
そんな父と一度くらい家族旅行に行きたいと思い、母と私は「妹が留学することになる英国へ行ってみよう」と家族旅行を計画しました。
祖母も一緒に、家族そろって初めての海外旅行。
ところが、ロンドンに到着して間もなく、祖母が転倒し、骨折して入院してしまったのです。
予定していた観光どころか、私たちは病院に通う毎日。
けれど、その「ハプニング」が、私たちを英国と深く結びつけるきっかけになりました。
入院先で出会った医師や看護師さん、そして近所の方々——皆が本当に親切で、困っている私たちを気遣い、助けてくださいました。
言葉の壁があっても、心の通じ合いはちゃんとあるのだと、身をもって感じた日々。
その優しさに触れるうちに、私たち家族はすっかり英国という国に魅せられてしまったのです。
帰国してから、母はこう言いました。
「鹿児島と英国って、実は昔からご縁があるのよ。幕末に薩摩藩の若者たちが最初に英国へ渡ったことを、もっと地元の人に知ってもらえたらいいのにね。」 その言葉をきっかけに、**「薩摩と英国をつなぐ場所をつくろう」**という思いが芽生えました。
ついに「薩摩英国館」を立ち上げることを決意したのです。
和と洋の融合――知覧で形になった夢
建物を建てる場所に選んだのは、知覧武家屋敷群の通り沿い。 ところが、計画を進めるうちに思わぬ壁が立ちはだかりました。
当初は2階建ての英国風建築を予定していましたが、知覧には景観条例があり「武家屋敷群の景観を守るため、平屋で瓦屋根にしなければならない」と行政の指導を受けました。
その条件を受け入れ計画を見直し、1年かけて完成した建物を目の前にしたとき、心の底から納得したのを覚えています。
ロンドンバスと和風の屋根。その融合は不思議にも、私たちの思い描く「薩摩と英国の融合」そのものだったのです。
開館当初は、館内に『Illustrated London News(絵入りロンドン・ニュース)』などの100~150年前の英国史料を展示し、
英国から見た薩摩の歴史を紹介しました。 生麦事件、薩英戦争、そして薩摩藩英国留学生たちの物語——。
訪れた方々の多くから、「なぜ武家屋敷の前に英国館が?」と不思議そうに尋ねられました。
そのたびに私はこうお話ししていました。
「薩摩の人々の暮らしをこの武家屋敷で感じながら、彼らがどんな思いで海の向こうの英国を見ていたのか、想像してもらいたいんです。」
“歴史”の次に伝えたかったのは、英国の“暮らし”でした
そうして少しずつ、薩摩と英国の歴史に興味を持つ方々が増えていきました。 けれど、母にはもうひとつの願いがありました。
「歴史だけじゃなく、今の英国の暮らしも感じてもらいたい」——そう考えた母は、英国の雑貨や食品、そして紅茶を取り扱うショップを併設することにしました。
30年ほど前、英国紅茶を扱う店は鹿児島にはほとんどなく、私たちは思い切って100種類もの紅茶を取りそろえました。
紅茶缶の並ぶ棚は素敵なデザインに溢れ、英国の風を感じさせてくれました。
やがて紅茶ファンの方々が訪れるようになり、「飲んでみたい」「香りを試してみたい」との声が高まりました。
そこで、館内の一角に小さなテーブルを置き、試飲を始めました。 これが、薩摩英国館のティールームの原点です。
初めてお客様に紅茶をお出しした日のことは、今でも忘れられません。 紅茶を淹れる音、カップに注がれる湯気、漂う香り。
「わあ、まるでイギリスみたいね」と笑顔を見せてくださったお客様の表情に、私たちも幸せな気持ちになりました。
やがてスコーンやアフタヌーンティーを楽しめるように少しずつメニューを増やし、紅茶を囲む時間が館の新しい文化として根づいていきました。
薩摩英国館が紡いできた、やすらぎの時間
館の名前「薩摩英国館」は、母が名付けたものです。「薩摩と英国の架け橋になりたい」という願いと、もう一つ——
「この知覧というカントリーサイドを誇りに思い、楽しんで暮らせる場所であってほしい」という思いが込められています。
武家屋敷の生垣が夕陽に染まり、館の窓から紅茶の香りが漂うとき、 私はいつも思います。
——ここに薩摩英国館を建ててよかった、と。 英国との出会い、家族の絆、そして地域の人々の温かさ。
そのすべてが、この小さな館を支えてきた原動力です。
今もなお、薩摩英国館は「歴史を語る場所」であると同時に、
紅茶を通じて人と人がつながる“やすらぎの場所”であり続けたいと思っています。